この夏は、天に召された義父の記念会があり、一時帰国をすることができました。
昨年の7月、突然日本から義父の訃報を受けた時、介さんはその週末、既に教会員の告別式の司式と納棺式の予定がありました。
コロナの感染対策で、出入国の為のPCR検査、国内の移動も制限されていたもどかしい時期。
コロナ禍のストレスと、3年間に経験した様々な喪失感に重ね、精神的に大きなダメージを受けることが続いたこの一年は、これまでで一番辛い一年だったように思います。
そんな中でのやっとの帰国でしたが、この3年間に絡まったままの心の糸や、周りとの心の時差を感じたり、小さなことにショックを覚えたり、改めて、今この時に見るべきものを見せて頂いた今回の旅でした。
帰ってから、ゆっくりリフレクトしたいと思っていたけれど、現実は容赦なかったです。
久しぶりの日本から帰った私たちは、非現実から現実への時差ボケの期間に持ち越した問題に翻弄されながらも、眠れずに変な時間にお腹が空き、起きなければいけない時間に眠くなる毎日。
そんな朝は、日本から大切に持ち帰った梅ジャムで、ヨーグルトを食べました。
そう言えばお嫁に行った頃は、まだ介さんの実家前には梅の木がありました。
今、その場所はファミマになっていて、今回帰国した初日から、娘たちが毎日のように通っては、少しづつ日本語での買い物の練習をしました。
「ファミマなら、会話しなくてもきっと大丈夫。」そう思っていた次女が、
どうやら支払った後、まさかの店員さんからの質問に硬直してしまったらしい。
「オフクロハオモチデショウカ?」
意味がわからず、何を答えたらいいのかわからなかったと。
見つめ合ったまま1分間が経過し、やっとビニール袋に入れられた品物を受け取り、理解できたようでした。
1分間の沈黙は、意外に長い。
きっと息もできなかったのではないか?と想像する。
私たちも、持ち越した心の葛藤によって、pauseのように自分たちの思考が止められた気がしました。
そして、何事もなかったかのように、周りは動いている。
今思うとあの時差ボケのpauseの時間は、この世界で私たちだけが葛藤しているような、見えない隠された時間だった。
でも、あの沈黙をきっかけに、心の結び目が一つひとつ解かれるように、神さまが、今、大切なプロセスに導いてくださっているように思えるのです。
あの時、ファミマでなんて言えばよかったのか?
「ありがとう」でも「お願いします」でもなく
「いいえ、持っていません」です。
そして、それが言えたら
「ください」とか、「結構です」とか会話が続くことになって、
ファミマでは、会話しなくても大丈夫説は、無くなるわけです。
「いいえ、持っていません。」「ください。」
「お願いします」「ありがとうございます」
そんなことを娘に教えながら、日本に行くまでの怒涛の1ヶ月、神さまとのコミュニケーションもできていなかったなぁと教えられる時でした。