空はつながっている

 

昨晩、大好きなおばあちゃんがなくなりました。おばあちゃんは、とってもチャーミングな方なので、面白いエピソードがたくさんある。

ジュースのファンタのことを、ふあんたと言い

次女の名前をなかなか言えなくて、

「あれ〜なんだっけ、なんじゃらかんじゃら?」と言っていましたが、3年前に本人が訪ねた時には、いつの間にか言えるようになっていたそうです。

おばあちゃんの口癖は

「みんな仲良くね〜。仲良しが一番!」

みんなから愛されたおばあちゃんと、もう一緒に笑えないかと思うと涙が止まらなくて困ります。

「自分の生まれ育った国から、出てきたことの重みを感じるね」
と介さん。

今朝の朝焼けは、グラデーションがとても綺麗で、優しいおばあちゃんの笑顔に包まれたようでした。

会いたい人と会えない悲しみが、空の美しさに慰められるなんて、掌の携帯ではなくて、もっと空を見上げて過ごそうと思った。

空はつながっている。

ハワイのれいさんが、天と地もつながってるね。と励ましてくれた。

会えなくても空を見上げたら、天も地も、互いを思う祈りもひとつに、つながっているのですよね。

新春の青空

今日から、スタートがやや遅れた三女と、シカゴに戻った次女の新学期が始まりました。

この日曜日は、ずっと祈り続けていた方の洗礼式があり、ひとつひとつのことが新しい頁をめくるような朝を迎えました。

朝のグループセッションでは、この数ヶ月感じていた幾つもの痛みに対して、祈るように、やっと言葉にすることが出来ました。

エピファニーを迎えてからも、何度も何度もイエスさまのご降誕の意味を、心に思い巡らしていたので、ここに辿りつくまでのプロセスは痛みの中にも深まっていく平安がありました。

背後には何も話せない私への祈りと励まし、同労者との何気ない会話に潤され、慰めを頂いたプロセスがあったことを思い返しました。

そのセッションの中でオファーして頂いたものは、先日、通りがかりで目にして、とても心に残っていた風景とお店につながる素敵なものでした。(それはまたいつか)←と書いて続けたためしがないけど。

アドベントがとても心騒がせる日々だったので、エピファニーを堪能すべく食し続けるガレット・デ・ロワ。

初めてマダム・コレットのガレットをワンスライス(大きかった)お店で頂きました。

介さんは、フランス語を話すお子さまたちと、なぜか仲良くなり、ママンからお礼を言われる。(本人、シルブプレしか話せないのに)


そして、通り沿いのスタンフォードの豪邸を眺めるのが、良い気分転換になりました。

午前のセッションと、午後のお仕事の間のほんの数時間。

冷たい空気と青空に、絡まった糸からしばし手を離す、幸せな休憩時間でした。

青空に伸びた椰子の木に、新春を感じるなんて、カリフォルニア人だなぁ私。

どんな痛みも🌿

キャンパスのカフェテリアで、子どもたちと楽しそうに遊んでいる姿。

それが、彼を初めて見かけた時だった。天使かと思って、しばらく目が離せなかったのをよく覚えている。

もしかしたら、以前にもカンファレンス会場ですれ違っていたかもしれない。でも、彼のことを知りもしないあの時から、私たち夫婦は彼の大ファンになってしまった。今考えると、とっても不思議です。

久しぶりに、YouTubeがアップされてると、介さんが泣きそうなくらい喜んでシェアしてくれた。

こっそりコンタクト取ったり、抜け駆けする介さんと「どっちが仰のこと好きか⁈」って、夫婦で競い合うくらい。😂

ちょっとドキドキしながらアップされたYouTubeの曲を再生し、曲が終わる頃には涙がこぼれ落ちていました。

素晴らしい賜物とビジョンを与えられた神様が、これからも彼を更に豊かに祝福し、導き、彼にしかできないことを、いつの日か成し遂げられますように。

冬籠り

クリスマスデコレーションをやっと片付け、スッキリついでに、新年の模様替えをしました。😂

この状況だと、今月のファミリーは集まれそうにないので、窓辺に読書スペースを移動。

どうせなら自主隔離で、冬籠り楽しみます。

最後のガレット・デ・ロワ、美味しかった。😊

不恰好なガレット・デ・ロワ

毎年、なぜか介さんが嬉しそうなエピファニー。

今年は、前日から生地を寝かして、丁寧に作ったというのに、残念ながらフィリングを欲張り過ぎて途中で爆発。

焼き上がったガレット・デ・ロワは、噴火後の火山のように崩れていました。

昨日、介さんの書いた「あじさい」を読んでいたので、今朝は、同じエピファニーについて書かれた文章が、目に留まりました。

博士たちの旅は、より深い心の故郷に到達するために、慣れ親しんだものから離れる巡礼の旅。

私たちは自分自身の新しい旅に招かれていると感じるかもしれません。

その後に、こんな詩が紹介されていました。

O God,

who am I now?

Once I was secure

in familiar territory

in my sense of belonging

Unquestioning of

the norms of my culture

the assumptions built into my language

the values shared by my society.

But now you have called me out and away from home

and I do not know where you are leading.

I am empty, unsure, uncomfortable.

I have only a beckoning star to follow.

Journeying God,

pitch your tent with mine

so that I may not become deterred

by hardship, strangeness, doubt.

Show me the movement I must make

toward a wealth not dependent on possessions

toward a wisdom not based on books

toward a strength not bolstered by might

toward a God not confined to heaven.

but scandalously earthed, poor, unrecognized….

Help me to find myself

as I walk in others’ shoes.

– Kate Compston

©Ruth Haley Barton, 2020. Poem by Kate Compston Bread of Tomorrow: Prayers for the Church Year

冬が始まりかけた頃、思いがけないつまずきと揺り動かしにあいました。初めて経験するような悲しさ、虚しさを覚えるものの、以前にもどこかで同じような状況に遭遇したことがあるような気にもなりました。

でも今回は、同時に5件以上の問題の中にいた為、どのことに対しても、身動きできない、どうする事もできない限界と無力さを感じました。

そんな時、あの方ならどうされるだろうか?

そう思いながら、自然な流れで黙することを選択していました。

今までの私なら、すぐに問題解決のために動き、また自分の内側にも、何らかの解決を求め、誰かに尋ね、本や聖書を読みあさっていたと思います。

けれども、何も聴こえない、どうしたら良いのか分からない居心地の悪さを感じながらも、このことを通して、神さまが導かれている新しい旅に、招かれていることに気づかされました。

ガレット・デ・ロワは、不恰好で、ここまで手間暇かけたのに、残念なできです。

でも、不思議なほどに、大満足なお味でした。

この不思議な感覚。

疲れ、気落ちする中で味わう喜びの感覚。

導かれた旅の途中で味わう、希望のプレリュード。

慣れ親しんだ所から、新しい自分の旅に招かれたこと。そんな不恰好な自分を、少しづつ受けとめはじめた公現祭でした。

あじさい 1月6日号より

新年、あけましておめでとうございます。1月15日は、日本では「小 正月」と呼ばれ、小豆粥を頂く風習があるそうです。諸説ありますが、正月に忙しくした女性たちが、休めるように「女正月」とも言われ、実家に 戻ることもあったです。正月は、外からのお客様をもてなし、この日は、 家族で楽しむ日という説もあるそうです。ある学者が、「小正月は、正月 の行事を一区切りさせて、日常に戻るための優しいシステムではないか」 と言われていました。

日本では明治時代に、月の満ち欠けを基にした太陰 暦から、太陽暦へと移行しました。月の満ち欠けは、15日サイクルです から、1月15日は、満月の日になります。おもてなしモードの正月か ら、家族や自分に向かう大切な日常のモードに切り替え、再出発の時を迎 える。そのような風習は、今よりもっと不便だった時代、別の意味で忙し い毎日にやるべきこと、やらなくてはいけないことに、押し流される生き 方に一区切りをつける。きっと綺麗な赤い小豆粥で、心に華やかさや喜び を取り戻していったのでしょうか? 疲れた体を労わり、自らの心を大切に し家族を省み労わる日を持つことは、昔からの知恵なのかもしれません。

今日1月6日は、教会歴で公現祭(エピファニー)。東方の博士が救い 主に出会った時、命をかけての長い旅を経て、博士たちはこの上ない 喜びに満たされ、ヘロデ王の命令を無視し、別の道を通って帰っていきました。この東方の博士は、今で言うならイラ ンの方から来た異教徒で、ユダヤでは禁止されていた占星術師です。公現祭 の今日。私たちの心はまるで、博士たちの出身や職業が示すように、ベツ レヘムに生まれた救い主の希望を受け取るには、かけ離れた状態かもしれ ません。

しかし人の知識や知恵には限界があり、博士たちであっても、救い主イエスとの直接の出会いによってでしか満たされることのない、心の空洞があったのではないでしょうか?

その切なる願いは、より深い心の探究、霊的な乾き、霊的な旅へと博士たちを導いたのでしょうか。

新年が明けても問題の只中にあったり、自分の心がどんなにボロボロであったとしても、「あなたがたのために生まれた」救い主との出会 いは、その人を造り変え、新しく再出発させる希望の力です。

礼拝のメッセージで、早朝シカゴに旅立った長女が、デンバーで飛行機 がキャンセルしたとお話ししました。その後、長女はデンバーでスーツ ケースも暖かい服もないまま一泊し、エアラインとは4時間半電話が繋が らず、なんとか次の日のチケットを予約しましたが、またキャンセル。朝 早くから空港に行き、夕方の便でシンシナティまで飛びました。そこで は、ガソリンの給油する人が出勤せず立ち往生。やっとミッドウェイ空港 に飛び、アパートに着いたのは夜中でした。そして翌日、オンラインの仕 事が終わると、当初の予定地のオヘア空港までスーツケースを取りに行 き、無事にいつもの生活に戻ったそうです。

我が家では、壊れたヒーター と車の修理をお願いすると、どちらも修理不可能とのこと。その他にも次 から次へと、散々な年明けではありました。しかし、「湧きでる」とい う言葉は「次から次へと」という意味ですが、私たちの心に湧いてくる不 安や恐れ、問題は「生けるいのちの泉」を心に持つことで、澱んだ水を外 に押し流すことができるのです。博士たちがキリストに出会った時、世の 中は2歳以下の男児が殺されるという悲嘆と恐怖に怯える真っ暗な時 代、政治的、宗教的にも激動の時代でした。そんな中、博士たちが別の道を通って帰っていく道のりは、またしても大 変なことだったでしょう。しかし、救い主に出会った人の喜びと希望は、 どんな暗闇も奪うことができませんでした。

昨日、美味しそうなガレット デロアで、公現祭を祝う方々の写真を拝見しました。我が家でもパイを 作って楽しみ、救い主の届けてくれた喜びと希望、そして生けるいのちの 泉を祝おうと思います。

新しい年、この激動の世に再出発するため、皆さ んお一人一人の心に生ける水が湧き出ることを、心から祈っています。

中尾善之介 

この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を 飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、 その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。

ヨハネ4:13、14

手作り善竹梅と虎

書家でもある素敵奥さまから、虎の絵が描かれたご挨拶を頂きました。

そして、クリスマスに日本から、素敵なギフト(またご紹介させていただきます)が届きました。その中の貴重な錦松梅を、こよなく愛する私とアンジェラのために、手作りの善竹梅を介さんが作ってくれました。

名前の由来は、松の実が入ってなくて、お雑煮の出汁を取った残りかすなので、ランクも硬さも竹のようだからです。😂

「んー、本物の錦松梅には勝てないわ」

当然なことではありますが、贈ってくださったYさんや素敵奥さまの優しさと同じくらい、介さんの努力も感謝なのでした。

竹藪に描かれた虎も、イキイキとしていてなんて上手なの!!

善竹梅と虎がマッチして、トレジョの$3.99ブーケが映えて、新春の悦びをいっそう盛り上げてくれました。

怒涛のような昨年を無事終えた中尾家は、あじさいにある通り、年始も嵐が吹きつけています。

そんな中でも、家族や教会のために労を惜しまず、どうにかメッセージを届けようと、忙し過ぎる中、精一杯準備し祈る介さんを、今年も全力で支えていきたいと思いました。

この虎の絵を見ていると、そんな力が湧いてくるようで励まされました。

Bonne année 2022

あけましておめでとうございます。

ベイエリアの元旦は、青空が晴れ渡り、気持ちの良いお天気です。

今年の御節は、手毬風多めとなりましたが、お節作りは、もはや私にとってのメディテーションであることに気づきました。😆

「わぁ〜」しか言わなかった子どもたちが、心なしか毎年食べてくれるようになった気がするのです。次女子にとっては、究極のヴィーガン食。

昆布巻きをすっかり忘れたり、お肉が食べたい人たち用など、品数は適当に変わりますが、小さな頃、シニアやヤングな子たちに届けていたねと、家族で懐かしがりました。

最後にお届けしたのは、長老東さん。あれからあっという間に時間が経ってしまったけれど、まだ食べきれないほど作ってしまう。

でも今年は「これ何だったっけ?」と聞きながら、子どもたちが食べてくれるのが嬉しい。

心配していた義母は、沖縄の義弟夫婦の所で年越しをし、元気にしているようでした。

今年は何とか、日本に帰りたいと願っていますが、どうなることでしょう。予定も未定。

世界中で感染が収束し、若者たちが規制なく行き来して学び、家族や友人たちも自由に再会できますように。

2022年は、心はまぁるく身体は軽やかに、神さまが造られた新しい、鮮やかな毎日を、楽しんで歩んでいきたいと願っています。🌿

皆さま、今年もどうぞ宜しくお願いします。😊

今年もありがとうございました

西海岸は、只今、🇯🇵紅白歌合戦で最後の福山雅治さんを観ています。😊

子どもたちはさっきまで、3人でスパイダーマンを観に行き、帰ってきました。😅

結局、年末までバタバタしてしまいましたが、今年はあまり焦らず、のんびりひとりでお節を作りました。

今年も色々ありましたが、こうして無事に年越しができること、皆さんのお祈りとたくさんの励ましのおかげです。ありがとうございました。

皆さんにとって、恵み溢れる素晴らしい新年でありますように。🌿

来年も、どうぞ宜しくお願いします。

A Barrel full of Monkeys!

さかのぼって、記録に残しておきたい娘からの誕生日のプレゼント。

欲しがっていたバターナイフや、心がホッと和む手帳をいただきました。

どれも娘たちのセレクトとあって、感激でしかないのだけど、もっと感動したのはこのお誕生日カードです。

このGood Paper のカードは、ルワンダの大虐殺やエイズ、マラリアなどで孤児となった若者たちの作品です。これを購入する事によって、孤児たちが家族を養うための仕事を提供するそうで、
このカードを作ったAloys という方のサインもありました。

そして、いつかそのような人たちのために働きたいと願っている、長女からのお祝いカードが、泣けました。😭

いつも口癖のように「これマミー好きだと思うの」と言う彼女は、多分好きなものがよく似ている。お陰で妹たちからは「おばあさんみたい👵🏻なセンス」とからかわれるのだけど、スリフトショップやアンティークショップが大好き。😂

私と同じで、この一年のストレスオフを試みて食べ続けていますが、ふと見せる仕草や言葉が、子供の頃と全く同じで、大きくなっても変わらない姿にホッとしたりもします。

次女曰く

姉は、シカゴにいる時とここにいる時では、全くキャラが違うとのこと。

長女は、すぐに

「私は今、自分の中のインナーチャイルドを癒してるのよ」と言っていました。😂😂😂

只今まさに、クリスマス休暇でA Barrel full of Monkeys! の我が家ですが、ひとり又ひとりと戻っていきます。

樽に残された私たちの願いは、子どもたちが健やかで、今日も1日笑顔で過ごしていること。

それさえ叶えば、j親は嬉しいものです。

いつもの生活に戻ったら、泣きたいこと、不安になったり、寂しくなることもあるだろうけど、元気でいてくれれば、それだけで本当は満足なのです。

それなのに、あーだこーだと😮‍💨心配してしまうのは、私たち親の弱さや神さまとの関係なのかもしれませんよね。😅

だから、子どもたちには、しっかり神さま見上げて、神さまの声と自分の心の声に耳を傾けて、新しい年も元気でいて欲しいですね。