モントレー湾の夕暮れ

“My Lord God,

have no idea where I am going.

do not see the road ahead of me.

cannot know for certain where it will end.

Nor do really know myself, and the fact that I think am following your will does not mean that I am actually doing so.

But I believe the desire to please you does in fact please you.

And I hope I have that desire in all that am doing.

hope that I will never do anything apart from that desire.

And I know that if I do this you will lead me by the right road, though I may know nothing about it.

Therefore will I trust you always, though I may seem to be lost and in the shadow of death.

will not fear, for you are ever with me, and you will never leave me to face my perils alone.

Amen.”

Thomas Merton

先日、日本に住む友人牧師夫妻に、トーマス・マートンのことを紹介した。

このトーマス・マートンの祈りは、

自分がこれまでしてきたことが、よかったのか分からない時、

これから、どうしたらいいのかも分からない時に、親近感を覚える祈りです。

神さまの導きによってしていたことも

本当にそうだろうか?

あれでよかったのだろうか?

これからは、どうしていけばいいのだろうか?

と時々考えてしまう時もある。

でも、マートンの祈りのように、

神さまを喜ばせたいという願いは、神さまを喜ばせるもの。

そのように思ったら、誰かが喜ぶことではなく、自分がしたいことではなく、

もっと神さまのことを知り、何を願われているのか、その深い御思いを理解できるようになりたい。

44℃の暑さから逃れるために、モントレーまで行った祝日の夕暮れ。

朝焼けなのか、夕焼けなのか、分からないような幻想的な対岸の風景に見惚れました。

本当、モネの絵みたいだね〜。

優美なトルコ桔梗

昨夜は、この1ヶ月の霧が晴れるような、23年ぶりの方との再会がありました。
神さまの優しい御計らいで、画面越しにお会いできただけでなく、一対一の分かち合いをも、ご一緒させて頂きました。🕊

優美で陽だまりのような懐かしい雰囲気🌿と、つむぎだされる言葉を味わいながら、この上ない豊かな時間を過ごす事ができました。🥰

2度目のブレイクルームでは、ナウエンの言葉に、同じような状況での気づきを与えられた方との分かち合い。
葛藤と傷みの中で、ナウエンの言葉を味わう恵みのひと時でした。

日曜日深夜までの講座に、さすがに疲れが出るかと思いきや、深い慰めと気づきをいただいた、祝福の時でした。

あの時出逢った憧れの先生は、今の私の年齢であったことに気づきました。
そう思っただけで、自分が愛おしく、この季節を迎えたことがとても嬉しくなりました。
私の宝物でもある先生の本には、こう書かれています。

私の住んだ「ちいさいおうち」のその時々の風景を、あなたのやさしい心の目でながめていただければと思います。そして、その背後にいつも共にいてくださった神さまの存在を、あなたも気づいてくださったら、どんなにうれしいことでしょう。

私は今、はからずも、大好きな絵本『ちいさいおうち』に似た『ちいさい牧師館』に住んでいる。
ポール・トゥルニエの
『人生の四季』と重なるあの絵本のように、この『小さな牧師館』の窓の中の風景を、これまでそうであったように、これからも細々と綴っていこうと思いました。

昨日、教会に捧げられた献花からのお裾分けに頂きました。

トルコ桔梗は、同じ枝から三色のお花が咲いていました。

その淡いグラデーションが、人生の季節を思い巡らす、穏やかな時間を演出してくれました。
花言葉は
「優美」「希望」「よい語らい」

zoomが終わったのは深夜でしたが、その時に目にしたこのお花を、あえて写真におさめました。

本の表紙の裏に載せられていたトーマス・マートンの言葉を、久しぶりに読んでまた違った意味で、深く感銘を受けました。

A tree gives glory to God by being a tree. 
For in being what God means it to be it is obeying Him.....
The more a tree is like itself it is like Him.
 Thomas Merton
                              
 A Seven Day Journey with Thomas Merton