今日は、今年最初のSpiritual Directionでした。
このことについては、カテゴリーも用意したのに、中々どう書いていいか分からずにいました。
内容は、当然パーソナルなこととなり、毎回、日記として残しておくべき大切なスピリチャルジャーニーではあるけれど、私が導かれることを記したところで、読み手の受け取り方は千差万別なので、あまりプラスになるとは思えない・・・などと。
それが、あることをきっかけに、ここにアウトプットしていこうという気持ちにさせられました。これから少し時間を見つけては、これまでのSDで導かれたことなどを、書いていきたいと思います。
S Dについては、ここで私が説明するよりも、さっと読めるお奨めの本や雑誌のバックナンバーも、後日紹介したいと思いますが、一番はなんと言っても、中村佐知さんのブログです。私がこのブログに書くことは、ほとんど佐知さんから教えて頂いたこと(勝手な解釈が入って間違っていたらすみません)その恵みを、少しでもここでおわかちできたらと思っています。
今年最初のS Dでは、思いがけず介さんの為に祈る時間に導かれました。
これまで、彼のために祈る時には、今週のメッセージのため、ミニストリーのため、または体調のために祈ることはあっても、彼の霊的な必要や魂のために祈ることが、随分なかったことを示されました。
毎回、「どのようにして始めますか?」と最初に聞かれ、Directorにお祈りして頂いたり、黙祷してから始めたりと様々なのですが、その後の第一声を私が話すまで、静かに待っていて下さいます。すぐに言葉ができる時もありますが、ほとんどの場合、「これをお話ししよう」と問題や相談事を持ってくる時間ではないので、少し私自身が振り返る時間を持ってはじまることになります。
それぞれのS Dの始まり方は、その時々違うと思いますし、S Dの説明をする為にこのブログを書いているのではないので、私の日記はあくまでも参考までに読んでいただければと思います。
私の第一声がなんだったか、すっかり忘れてしまいましたが、昨日はとても温かい日で、久しぶりに公園の水辺に出かけたこと。介さんは、そこですぐにお昼寝をされたのだけど、それがとても気持ちよさそうで、心がほぐれるような時間を過ごせた ことをお話しした。
それから、今朝は珍しく、彼の傷んでいることを分かち合ってくれて、そのことの解決を願うのでもなく、ただ共に祈ったけれど、このセッションの時間になったので、ゆっくり聞く時間もなかった。
これから私がS Dの時間を持つと知って、「自分も教会に行ってくる」と颯爽と出かけていかれました。
「教会に行ってくる」
いつもは、それは出勤する(笑)ことを表すワードなのだけど、今朝のは何か違うように感じた。そのことを、Directorも同じように感じてくださったようだった。
「今、もしかしたら同じようにこの時間を神さまの前に出て、共有しているのかもね」と言われ、「真紀子もここで、一旦神さまの前に出てみようか」と彼のために祈ることを促してくださった。
短い時間だったけれど、私はその時間がとても幸せな時間に感じた。
私がこれまで彼のために祈るという時、説教準備のための祈りや、業務が滞りなく遂行できるための祈り、いつものルーティン的な祈りが多かったことも気づかされた。
目を閉じて祈る私の目蓋に浮かぶのは、神さまの前に祈る彼の姿。(実際、よく会堂の隅で一人祈ることが多い)
いつも、そのような「神さまと介さんだけの時間」を持って欲しいと思いながらも、顔を合わせれば「これ終わった?」「あれどうなった?」と本日のタスクに対して口うるさい私は、そんな自分の思いも、神さまの前に持っていくことにした。
その後のDirectorとの会話の中で、パンデミックになる直前にあったある出来事のこと、その時の感情を、実はずっと二人でホールドしたまま、この10ヶ月を過ごしてきたことをお話しました。
彼がずっと傷んでいた姿は、私自身の傷みでもあり、私はその事を自分自身の事として、オブラートに包みながらも、このS Dでお話しし、そのおかげで少しづつプロセスすることができた。
Directorは、自分でも「あれ?なんでこんな事話してるんだろう?」と思う時、いつも「この時間は、真紀子のための時間です。」と言ってくれる。
霊的同伴者(Spiritual Director)は、悩んでいることの答えや助言をくれるカウンセラーではない。導き手は神さま、聖霊御自身なので、私が神さまと向き合う時間、その霊的成長の旅路を、神さまが私のうちに働かれることを、共に見守ってくれる証人のような存在です。
いつもその時間は、Directorとの対話を通して、私の日々の生活の中に、神さまがどのように関わり、どのように導かれようとしておられるか、会話の中に出てきた出来事やそれに対するわたしの反応、言葉に注意を払って、ゆっくりと見ていく。
今日は、その私のための時間を、いつもと違った形で過ごすことができた。
神さまと一緒に、介さんのことを思い巡らす時間。それを通して、神さまが私をどう導かれようとしておられるかを感じていく。
実際その時間は、私の心を想像を遥かに超えて平安にし、彼のことを気遣い、支える余力、スペースのなかった自分の心が、軽くなり、同時にとても新鮮な力を頂いたように感じました。
「わたしのくびき」は、本当にイエスさまと共に負うことで、軽くされる。こうやって自分以外の家族や他者に対して、それを支える必要な力とリズムが整えられていくことを、今日も体験させられたのでした。
「次のステップ」を模索する介さんに対して思い巡らしている時、「次のステップを考えることも大切だけど、今、この時踏み締めているステップを、注意を払って、意識して大切にする」ことも示されました。
この10ヶ月間、その傷んだ心や出来事への私の反応を、何かのどのイガイガをとるように、突然の心の嵐を宥めるようなつもりでプロセスをしてきた気がする。
でも、もしかしたら、模索していた「次のステップ」とは、次のミニストリーの展開や、方策などではなくて、もっと人格的な、霊的な成長のステップとして、神ご自身がそこに招き、与えようとされる恵みに、フォーカスすることなのかもしれないと思いました。
余談ですが、私のSDさんは、本当に素敵な方で同伴者としてだけでなく、一人の女性としても、また真実に私と向き合って下さる姿にもとても励まされます。
追伸
このブログの使い方が、未だによく分からず、コメント欄がいつの間にか消えてしまいました。以前のコメントは読めるのですが、どうやったら書き込む場所が戻ってくるのか、ご存知の方がいましたら、是非教えて下さい。